2年後の私へ。そして今までの私へ。

なんか急に語りたくなったから語らせてください。

今私は高校二年生で17歳。
とある関東地方の割と地方の県に実家があって、そこから都内の高校へ通っています。
この時間はあと一時間後に迫った相対性理論という私が中三の三学期から好きになったバンドの入場待ちでとあるファミレスで携帯を充電している途中です。

私は小学二年生の時にジャニーズの某グループのファンでした。私の家は厳しくて小五まではゲームも買ってもらえない、みんなが許されてる買い食いも禁止、1人部屋はなし。そんな家で育ちました。親が漫画大好きだから漫画が許されてた(実際は許されてたどころではない。家にあるおびただしい数の漫画が読み放題だった。)ことは救いだったけど。なんか、友達とかもやっぱりその当時はゲーム(DS)が大きな力を握っていて特別いじめられてたとかは何も無いけど疎外感は凄かった。記憶が正しければ私はその当時から小説を書いていて、ネット環境は何も無いのに不思議と自然に夢小説なんかにも手を出していた。
私はつまり小二の頃からオタクで、ずっと手に届かない何らかの好きな人がいるのが普通で、それには接触することは許されないし、規律を正しく守ってお金によって強い弱いがあるのが普通の世界で生きてきた。
こんな私でもそれなりに何人かリアル彼氏、彼女が出来たのは奇跡中の奇跡だったと今では思う。

まぁ話は飛ぶけどさ、結局私は小五までネットの世界ってものを知らなかったわけだよ。そして小五になって初めて3DSってものを買ってもらって、世界は大きく変わった。3DSってのは凄くてさ、今では当たり前かもしれないけどゲーム機でありながらブラウザが使えるの。そこで私はまず掲示板ってものを知った。その当時ハマり始めたボカロについての掲示板だった。そこで私はネットで初めて友達が出来てそこからネットの使い方を知った。次に知ったのはアダルティックな世界。漫画の影響もあって、早熟してた私はまぁまるで猿みたいにエロ動画とか漫画をネットで漁るように毎日見てた。強姦欲求があったり、マゾヒズムな所があったり、かと思えば急に加虐趣味を出したりマニアックな性癖、グロいものを美しいという思想はこの時の名残だと思う。あのね、小さい頃に色々抑圧されると本当に性癖って歪むよ。その例がこれ。今では私と性って言うのは切り離せないものになってしまったけど、私は小学生からこんなんだった。で、そうなってくると必然的にケータイ小説っていうものを知るようになってくる。深夜アニメを見始めたのもこの辺だし、二次創作し始めたのもこの辺。
で、二次創作のR18タグを覗き始めると必ずぶち当たるのはBL。案の定私も早い段階でそれに出会い、今のように腐女子化した。

ここまでが小学生の出来事。なかなか濃いでしょ。
でも小学生の時はね、宿題を1回も忘れたことは無かったし、なんなら寝る時間が12時を回ったこともなかった。私はとってもとってもとってもいい子だった。

次、中学生。中学生に入ると成績に順位が着くようになる。高校生の私しか知らない人は知らないけど、私中学生のころは頭良かったんだよ。ただし、「それなりに」決して1番にはなれなかった。
で、中二になるとジャニーズから離れて、次は俳優さんになった、深夜アニメ、ボカロは変わらずに好きで、変わらず極めてたけど。俳優はとあるドラマとそのドラマの主演だったある1人がきっかけだったと思う。元々ジャニーズの影響でドラマの楽しみ方とかは分かってたし。とりあえず手慣らしにある1人のドラマは本当に全て、嘘偽りなく全て借りてみた。今でもこれはいい経験だったと思う。
なぜならその方が出ている作品で話として良くない作品は少ない。最初に良いものを知ったから作品の善し悪しは分かるようになった。
次に好きになったのはきっかけになったドラマの脇役の1人、多分その方を好きになった時にジャニーズファンである自分は本当の意味で無くなった。CDも買わなくなったしね、そして、その方と並行して舞台でも活躍するある俳優を好きになった。

そして、その人に、舞台の世界を教えて貰った。

舞台の趣味は正直本当にしんどかった。しんどかったと言うよりはしんどい。現在進行形でしんどい。
何がしんどいって、ファンの目を今までやってきたどの趣味よりダイレクトに感じる。だって同じ会場にいるんだもん。隣、接触しそうなくらい近い隣はもう舞台のファン。自分がどう見られてるのかいやでも意識しなきゃ行けない。それになんでだか知らないけど舞台のファンって過激派が本当に多い。なんでみんなそんなに人のこと気にするんだろうってくらい多い。現場に出なくても叩かれるだからといって行き過ぎて目立っても叩かれる。私は幸い激しく叩かれたことは無いし、無名なファンでいられたから比較的平和だったけど。
それでも推しは可愛い、
いつでもお金さえ払えば私を楽しませてくれる。

私はほかの同年代に比べればはるかに健気だと思う。だって、現場に通うために生活基盤まで変えたんだから。
高校帰りに現場に行くためそれだけのために私は都内の高校へ進んだ。正直最初の方は友達なんて出来なかったし、通うのだけで疲れてた。みんな真面目に見えて、自分だけ取り残されているように感じた。

だけど、そんな私を救ってくれたのも推しだった。

私は推しのおかげで友達ができた。
推しのおかげで毎日楽しかった。
推しがいたからいろんな出会いがあって、

推しが私の学校の場所を選んでくれたから好きな人にも会えた。

そんな私だったからTwitterで「受験だからオタクおります」なんて言う同担が大っ嫌いだった。
推しのためにお金を落とさないオタクが大っ嫌いだった、私はこんなに頑張ってるのにどうして?って思った。
毎シーズン新しいドラマが始まる度に好きな俳優が変わる人が大っ嫌いだった。

でも、好きな人が出来てわかった。

無理なんだよ。

いかなるオタク趣味も本当の意味で現実世界と両立させるのは。
いるかもしれない、私は現実の世界とオタク両立させてますよって人も。でもね、それ本当に両立してる?きっとそれ、自分がそう思ってるだけできっと両立してないよ。

推しのために何かを諦めてない?何かのために推しを諦めてない?

そういうのが出てきた時点できっとリアルとオタクは両立できてないと私は思う。

私は今日「オタク」を降ります。

この相対性理論のライブが終わったら。

理由は簡単。受験勉強をするため。ありがちだね。

こうして私は、嫌いな、なりたくない大人になることが出来ました。

でも一生ではないよ。受験して合格したらバイトを引連れてまたこの世界に帰ってくる。
帰ってくるために降りる。

17年間私は何者かのために毎日過ごしてた。
私の「キミ」になってくれた全ての人に感謝したい。

今号泣しながら打ってるこの文章を読んでくれる人はいないかいたとしても極小数なんだろうなって思うけどその人たちにだけでも伝えたい。

私の推しみんな素敵な人だったよ。

最後に私が大好きな言葉を書くね。

「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
~誓いの言葉より

2018.9.2